05/4/16(土)青年団プロジェクト企画『隣にいても一人』@こまばアゴラ劇場 7時開演 当日券


もともとは平田オリザが北海道のアマチュア劇団のために書き下ろした作品。今回実際に盛岡で暮らしながら現地の役者をオーディションして完成させたという盛岡版『隣にいても一人』。


ことばは標準語で書かれている。だが盛岡のイントネーションで語られるため方言として聞こえてくる。なんということもない普通の会話。畳の部屋にちゃぶ台ひとつという簡素な舞台。なんということもない日常。登場人物は、離婚間際の一組の夫婦。夫の弟と妻の妹。おかしなことといえば、ある朝目覚めると妹は何故か義理の弟の家におり、二人は突然‘夫婦になっていた’。


何故だか本人たちにもわからないけれど、ある朝突然‘夫婦’になっていた、つまり‘私たちは夫婦である’と認識してしまった義理の姉弟である二人。先にいつのまにか‘夫婦になっていた’二人は何をすれば夫婦であるのかを考える。一枚の紙切れを公的機関に提出すること、結婚式、新婚旅行・・・結婚にまつわるあらゆる儀式。通過儀礼


結婚式や新婚旅行はともかく結局のところ彼らは婚姻届だけは提出するのだが、先に夫婦だと信じ切っている二人にはあとづけに過ぎない。入籍しているという周囲の承認が必要不可欠であったようにはまったく思えない二人であるのに、それでも婚姻届を出すことを怠らなかったということにはやはり意味があるのだろうか。二人の言動からはどこからが夫婦なのか、夫婦とはなんなのか、何をすれば夫婦なのかが逆照射される。


この‘いつのまにかある朝突然夫婦になっていた’新婚夫婦に離婚寸前の兄夫婦が絡む。一見気の合う仲良さ気な雰囲気の兄夫婦は一般的結婚観(たとえば、結婚するならきちんと正社員にならなくては、という類)で‘夫婦になってしまった’という妹夫婦たちに結婚とは夫婦とはを説いていくのであるが、その二人は離婚しようとしているという矛盾。この二組のカップルのやりとりから結婚とは夫婦とはという問題が提示される。


結婚が過剰に評価されてみたり、過小評価されてみたりする今日この頃。結婚するということと夫婦になるということは果たして同じ意味なのだろうか?夫婦になる必要はあるのだろうか?そもそも夫婦ってなんなのだろう?ライフパートナーと夫婦は違うのか?結婚をあえてする意味ってなんなんだ?一方であえて結婚しないという選択が持ってしまう意味って??なーんていう昨今当事者的にこのテーマに行き当たってしまう私としてもタイムリーともいえた。もはやこの問題、考える必要もないくらい古臭い問題なのかもしれんが。それに考えたところで結局自分の立ち位置はさらにわからなくなってしまうだけなんだけれども。