『サマリア』@恵比寿ガーデンプレイス


前回の『春夏秋冬そして春』を見逃したこともあって、映画館へと足を運ぶ。


『悪い男』のラストシーンで感じた軽いショックと比べて、今回の作品を見終わった後には温かい気持ちが残った。


ひさしぶりにとてもいい映画を見たというのが印象。


先週の木曜に見たというのにいまだに気付けばこの作品のことを考えている。


夢にまででてくるのだから相当だ。


本当にいい映画。


三つの章から成る『サマリア』。


第一章は、「バスミルダ」。


関係した男たちを仏教徒にしたという娼婦バスミルダにあやかって、バスミルダ気取りで売春を行う女子高生チェヨン。性を売ることには全く屈託がなく無邪気なチェヨンと彼女と関係を持つ男たちに嫌悪を抱きつつも、彼女の売春のマネージャーのような役割を不本意ながらも引き受けてしまうヨジン。「バスミルダ」ではこの二人の淡い少女らしい恋に似た感情のやりとりや関係性が描かれる。ところがチェヨンはあっさりと死を迎える。


第二章「サマリア」。


片われを失ったヨジンは、チェヨンが売春で得たお金と売春記録とでもいってよい手帳をコンロの火で燃やそうとする。ところがヨジンはすぐに水をかけてその行為を制止する。その瞬間に流れが変る。ヨジンはチェヨンが関係した男たちと自ら関係し、お金を返していくことで、決着をつけようとする方向へと向かう。ヨジンと関係した男たちは、自分の侵した行為を自省しつつも、ヨジンに出会えた幸福を語る。それはバスミルダと関係を持った男たちが仏教徒になったという説話と重なる。ヨジンはチェヨンを自らの生に引き入れ、チェヨンの罪も男たちの罪も浄化することで現代のバスミルダとして再生したかのように見える。しかし、物語はそこでめでたしめでたしとは終わらない。


第三章「ソナタ


ソナタ」では、娘ヨジンを心から愛する父ヨンギが、ヨジンの行為に気付いたことから、男たちへの復讐劇へと発展していく。ついには殺人へといたるヨンギ。母の墓参りと称した二人の道行は、罪からの逃避行ではなく、浄化のようである。ラスト、男たちへの制裁を自らの手で下したヨジンは、自首する。ヨジンは自らの罪だけでなく、チェヨンの罪もヨジンの罪も男たちの罪もすべて一手に引き受けたように見える。社会的な立場もしくは現実的な立場から、もしくは社会からの制裁という意味で、ただ一人ヨジンだけがそれを引き受けたようにも思う。


とにかく、なんにせよ、いい映画だったということ。